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失われた10年の本質とは-70年代に戻って(7)-まとめ

何回かに分けて1970年代の特徴と、そこから至る現代までの共通性について取り上げていますが、まとめに入りたいと思います。

共通する要素としては

・価値観が多様化して、先行きが不透明な時代になっている。
・雇用や老後など先行きに不安がある。

といった点が変わりなく続いている面が強い印象を受けます。高度成長を経て社会が豊かになってきますと、多様な価値観が次第に許容されてきますし、それ自体は悪いことではありません。
しかし、先行きが不透明・不安というのはあまり好ましい傾向ではなく、いわゆる選択の自由があるものの、その先に目標や目的があいまいになったままでもあり、また古くからの価値観もそれなりに残ってきている、といった形で漂流してきている、というのが実態ではないかと思われます。

社会の目標として、日本の有史以来はっきりしているのは、

・古くは鎌倉武士の専守防衛の時代
・織田信長の天下布武
・江戸時代の安定した社会秩序と戦の無い世の中
・明治以降の富国強兵
・戦後の経済成長

の時代モデルではなかったかと思われます。70年代のオイルショック以降は、経済大国となり、社会的な方向としては改善・洗練のほうの流れに行きましたが、逆に何か大きなものが出てきたというわけではなかった印象があります。

そうした中で、
1)80年代のバブルは、特に日本が土地や株への投資がだぶつくようになり、当時の繁栄は幻だったことが明らかになりました。
2)2003年から2008年までの世界の経済成長は、新興国ではいまだに高成長の路線を行っていますが、今までの社会の矛盾を顕在化することとなり、一切が水泡に帰することとなりました。

そうした中で今後の社会全体が持つ方向性としては、

1)新たな社会的な価値観を根付かせ、ある程度の障壁や社会的なパラダイムシフトがある中でも乗り越えていきながらやっていくか。
2)逆に人口も減少する・社会全体の高齢化が進んでいく中で、”そこそこの社会”か、多少の犠牲があっても(個人の生活レベルで申しますと、子供を大学に出せなくなる・老後の見通しが立たなくなる・都市部で持ち家ではなくなる、といったことが現実味を帯びてくるでしょう。)今までの伝統的な価値観と共に折り合いをつけていく、といった社会を選んでいくのかが、今後の大きなカギになってくるものと思われます。
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失われた10年の本質とは-70年代に戻って(6)

1970年代に戻って、現代と過去との類似点について検証している続きですが、残りの2-3回で暮らし向きの変化について述べたいと思います。

今年からは住宅向けのエコポイント制度がスタートします。この2-3年になってからは高齢化と所得の伸び悩み・さらには住宅が余ってきていますので、リフォームの需要が伸びていますが、それまでは団塊世代が家庭を持つ時代になって、建物が大幅に不足しているために新築が増えていました。

郊外型の一戸建て住宅やマンションが急激に増加し、また郊外で駅から遠いために自動車が売れた時代も70年代に入ってからでもあります。

そのために、勤労世帯の実に22%が住宅ローン返済に追われる時代でもありました。当時の世相を揶揄する言葉として”ウサギ小屋”というのがありましたが、1979年の調査で平均月4万3千円を返済する流れとなっています。

もともと日本の地価は、地方に分散していたことや宅地や農地などの区分がおおらかでしたので、比較的落ち着いていましたが、戦後に人口が急激に増加したことと、高度成長期に地方から都市への人口流入が増えて、土地の需要が高まったこと、また市街化調整区域などの都市計画が進んで、供給サイドの蛇口が絞られてきたことから、価格が大きく高騰してきました。

現在では都心回帰の動きが進んでいますが、郊外型のライフスタイルが大きく普及してきたのは、この70年代からと言えるでしょう。

失われた10年の本質とは-70年代に戻って(5)-日本の財政赤字

オイルショックと現在に共通しているのは、現在ではギリシャの財政赤字と特にドイツを中心としたEUの支援が話題になっていますが、国内における大幅な財政赤字の問題です。

オイルショックの時代には国債発行段高が40兆を越し、大幅な財政赤字となりました。しかし当時の貨幣価値を今に換算しますと、せいぜい80兆から100兆の間ですので、現在から比較するとあまり深刻ではありません。

その要因としては、戦後になって財政当局は戦後におけるインフレの苦い経験から、戦前戦中の戦費調達による赤字国債の発行に極めて慎重で、インフレを抑制することが当時最大の金融政策の課題でしたことから、こうした背景となりました。
オイルショックの時代に、日本は財政政策と輸出急増によって他国より早く不況から脱出しましたが、オイルショック後の不況から抜け出せない各国は、日本に内需拡大政策を要求したこともその背景になっています。

70年代から現在に至るまで、日本では国民的な観点からそこで判断が大きくストップしており、逆にギリシャでは増税と社会保障費や公務員の給与の引き下げなどで暴動になっているのですが、増税をするか財政を再建していくのかで、”遅々として進んでいる”状況になっているのは否めません。

当時の日本の税収は、所得税と法人税の直接税に大きく依存しましたので、景気の動向によって税収が変動に大きく左右されがちです。現在では5%の消費税で多少は改善されていますが、やはり直接税中心であることに違いはありません。そのためオイルショックの時代にも現在にも、財政当局は景気変動に左右されにくいヨーロッパ大陸型の付加価値税(消費税)導入やアップを目論んでいますが、国民からの反発が強いことには変わりありません。

逆に70年代後半から、増税なき財政再建ということで政府機構を簡素化し、定員を減らし、事業を切りつめて補助金をカットすることによって、財政収支バランスを整うようにしてきました。
国鉄や電電公社の民営化では大きな効果がありましたが、当時のイギリスの国営企業と異なり、人口全体における公務員比率が5%前後と北欧やヨーロッパほど高くなく、むしろこの比率は江戸時代と変わりありませんので、現在に至る課題がこの時代から停滞しているという1つの証しとも言えるでしょう。

こうしたことから、現在の社会状況や経済状況を鑑みますと、オイルショック前後からの経済や社会状況を振返るのが良い最大の要因となっています。

失われた10年の本質とは-70年代に戻って(5)-窓際族とは

昭和の時代は年功序列と終身雇用が言われていましたが、この70年代のオイルショックの時代からは、社内失業の予備軍として窓際族という言葉が出るようになりました。
経済が安定成長期を迎え、過剰人員となった中高年の管理職や社員が、ほとんど仕事を与えられず、窓際の机にただ座らされているだけ、といった意味を指す、当時は流行語でもありました。
きっかけは1977年6月11日の北海道新聞のコラムで「窓ぎわおじさん」という言葉が最初で、翌年1月の日本経済新聞「ニッポン・生きる条件」で、OLの雑談中にあった言葉として窓際族を紹介しています。

その後は「ドア際族」・「壁際族」・「裏窓族」などが造語されていきましたが、今ではリストラや解雇が増えている中で、のどかで牧歌的とも言われていますが、社会的には以下のような課題を抱えており、その残滓が残っているように思われます。

・労働の流動性よりも、社内失業として抱え込んでしまいやすい。
今では社内失業が一時期よりも減っていますが、日本ではなかなか労働市場や雇用の流動性が一部の業界を除いて生まれにくい、といった要因の1つとして、社内で抱え込んでしまうことも挙げられます。
こうした習慣は、社会動向や技術革新などで急にシフトした場合の遊軍要員としておさえとなる場合もありますが、実際には活躍のチャンスを奪っている面も否めません。

・出向/転籍といった、複雑な労働/雇用慣行となりやすい
中高年で転職自体が難しくなりますと、本人の意に反した人事が行われやすくなり、中には不本意な異動/出向/転籍などが行われやすくなります。

・組織内出世を目標とすると、見せしめの飼い殺しになりやすく会社と社員の関係に
支障が出る。
本来ですと会社と社員は労働力や役務を提供する対等の関係なのですが、運用が度を過ぎますと会社に対して従属的なものになりやすく、会社に尽くすばかりになりやすいことから、それが社会全体に対して負の影響をもたらしている面が今日にも響いているように感じます。

失われた10年の本質とは-70年代に戻って(14)

久しぶりのブログとなりましたが、短期集中のプロジェクトなどの関係で、刊行できませんでしたことをお詫び申し上げます。早速ですが本題の内容に戻って、続けていきたいと思います。


現在の不況はよく「100年に1度の不況」といわれます。ところが新聞社のアンケートなどを見ますと、100年に1度はオーバーで、むしろ30年に1度くらいのものではないか、といった内容が多いことから、そうしますと必然的に70年代のオイルショックの時代、といったものをもう1度見直していく必要があると思います。

逆に70年代の状況認識と、そこからどのように社会課題や企業の経営課題などを解決していったのか、また積み残っているテーマは何か、ということをもう1度省みたいと思いますし、そうした検証が不十分なまま今日に至っている面が否めませんので1つずつ取り上げていきます。

1)素材産業から加工貿易へのシフト
オイルショックの時代は、同時にそれ以前から起こっておりました為替の固定相場から変動相場への過渡期でもありました。前は1ドル360円でしたがニクソンショックによって、次第に308円になり、もっと円高になっていく過程でしたが、こうした円高基調は国内での産業構造のシフトに大きな影響がありました。
同時にそれまで日本は、繊維・鉄鋼などの素材型産業で輸出を中心に行う社会でしたが、それでは付加価値がつかずに採算が取れなくなってしまうことから、自動車・電機・工作機械などの加工貿易型のビジネスモデルにシフトしてきました。

こうしたシフトは本来ですとだいぶ顕著なのですが、実際に現在の日本の社会でもなかなか見えにくい・見えづらい面があるようです。主な理由として、

1)新手の企業が現れても、同時に重厚長大型の企業が社会的地位・財界のポジションなどで、依然として強い力があることから、なかなか変化が見えづらい。
2)いわゆる重厚長大型の企業ではグループを擁しており、関連会社で新手の分野に乗り出しており、成功の果実を受け取っていた。

ことが挙げられます。すなわち、「経済構造がシフトしていっても、主体となる企業やプレーヤーが同じ」ということは、70年代から80年代にかけては大きな成功要因ではありましたが、逆に90年代以降の不況と情報化社会への対応に関しては、過去の成功体験へのこだわりと、変化対応への遅れ、といった面が否めないでしょう。
プロフィール

itsolution01

Author:itsolution01
販促物を企画・制作する経営コンサルタント、有限会社ITソリューション 石川 貴善のビジネスブログです。

■ホームページ
http://www.it-planning.jp/
■プロフィール
http://www.it-planning.jp/corp/profile.htm

社会動向・業界動向・事例などのケーススタディーを中心に、課題や原因・解決に至るアプローチをまとめたコラムを取り上げていきます。

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